そして竈山神社を参拝しこの日がスタートする。天気が不穏なんだけども、宿とフェリーと都合があるので強行スケジュールになるが、さあどうなるか。
2024年3月31日日曜日
紀伊国 三社参り
そして竈山神社を参拝しこの日がスタートする。天気が不穏なんだけども、宿とフェリーと都合があるので強行スケジュールになるが、さあどうなるか。
2024年3月30日土曜日
紀州一宮 丹生都比売神社参拝 5
さあ、お宿に戻らなきゃ。夜の帳が落ちた和歌山の山の中、土地勘が全く無いのでまたスマートフォンに頼りっきりになる。
また1枚写真を撮る。きれいにライトアップされている橋だ。
ココから出発する際神職さんとお話していた言葉を思い出す。
「色々落とし物をしてしまったのは大変でしたがこちらに立ち寄れて絶景と仰っていただけたのもお大師様のお導き。落としてしまったものは厄のかわりでしょう。厄が落ちたらまた手元に形を変えて戻ってくるかも知れませんよ。」
うーん、神仏が一体となった紀州の地、気持ちよく最終目的地の丹生都比売神社から出発出来そうだ。
2024年3月29日金曜日
紀伊国一宮 丹生都比売神社参拝 4
神職さんとお話していると自分以外に初めて参拝客が来た。自分も立ち話を済ませお土産を買って帰路につく。
その際に撮った1枚がとってもお気に入りの1枚になっている。スマートフォンで撮影したんだけど、それにしてもカメラの性能が本当に素晴らしいことになっているな。腕も何もなく、カメラの言うままにシャッターを押してこんなきれいな写真が撮れるのはカメラ性能がどんだけ上がってるんだよ、って思う。
さあ、お宿に戻らないと。
2024年3月28日木曜日
紀伊国一宮 丹生都比売神社参拝 3
丹生都比売神社、この日から紅葉の時期までのライトアップがスタートしていたらしい。神職さんにあまりの美しさに感動して聞いてみたらこう答えてくれた。
ただしあまり積極的な広報をしなかったのかせっかくライトアップしたのに思いの外参拝客が少なくて少々がっかりしていた様子。そんな中標準語を話す自分が観光を兼ねて参拝してくれたことが嬉しかったようで色々とお話ができた。
四国一宮参拝がエクストララウンド御開帳で南海道一宮編になったことや、身ぐるみ一式落としたこととか、バッグ落としたこととか・・・。ほぼ落とし物の話しかしてねえな。
2024年3月27日水曜日
紀伊国一宮 丹生都比売神社参拝 2
紀伊国一宮丹生都比売神社までの道中は日没後でもう真っ暗。スマートフォンのナビをインカムで拾いながらの不安な道中だったが着いてみたらこの美しさ!!
割と冗談でなく神様のテーマパークにでも来たんじゃないか??と思うほど。しかも自分以外誰もいない。
・・・道中で実は事故起こして、気づかないうちに虹の橋でも渡ってきたか??不安に思って足を触るも、足はまだ付いている。
吸い込まれるように中に進んでいく。
2024年3月26日火曜日
紀伊国一宮 丹生都比売神社参拝
先程の伊太祁曽神社から更に足を伸ばしてかつらぎ町まで来た。こちらには紀伊国一宮の丹生都比売神社がお鎮まりだ。
伊太祁曽神社を出た時点で11月の17時、もう日が落ちてしまった時間だったので丹生都比売神社に着いた際はもう周囲はもう真っ暗。初めて行く神社が夜間というのはあまり経験がない。もしかすると初めてかも知れない。
・・・その割には丹生都比売神社がとっても明るいんだよな?なんかすごく歓迎されている気がする。
2024年3月25日月曜日
紀伊国一宮 伊太祁曽神社参拝 2
こちら伊太祁曽神社。主祭神は五十猛命。いたける、いそたけるのみこととお読みする。配神五十猛命と同じく須佐之男様のご子息だそうだ。
皆様林業の神様ということで紀伊の国の産業の神様としてお鎮まりの様子。
・・・個人的には近くの猫駅長が気になってしょうがないが、もう勤務時間外になっちまったなあ。会いたかったけど仕方ないか。
2024年3月24日日曜日
紀伊国一宮 伊太祁曽神社参拝
2024年3月23日土曜日
四国一宮参拝編 エクストララウンド御開帳
四国一宮編は終了したものの次の天気が崩れる日まで少し日数がありそうだったので宿を取り直し紀伊水道を渡る。
そして着いたのは紀伊国一宮、日前神宮・國懸神宮。関東の人間には読めないだろう。自分も読めなかった。ひのくまじんぐう、くにかかすじんぐうと読む。一宮の格を持ち神宮という名称なんでどう考えても歴史も格も相当なものだ。
夕方の参拝はあまり好きではないんだけどもエクストララウンドだ、お許し願おう。四国一宮参拝編、エクストララウンド御開帳。
2024年3月22日金曜日
土佐国一宮 土佐神社参拝 3
拝殿の風格に圧倒されたあと、正気を取り戻してゆっくり参拝する。この日はたしか日曜日、朝から七五三の家族連れが多く家族の写真を撮ってあげながらのんびり参拝する。そしてお約束、水戸ナンバーで話が盛り上がる。
土佐神社の主祭神様は住まいの隣県陸奥国一宮の主祭神様と同じ味耜高彦根命様だ。四国にまで来ているのに福島の都々古別神社と同じ神様がお祭りされていると思うと何故か異様に親近感が湧いてきた。そして味耜高彦根命様は農業の神様だ。しばらく留守にしている畑をお守りいただけると幸いです。
さあ、四国の旅は一宮参拝完了だ。荷物もなくして意気消沈、雨降ったら何も出来ないし、あとは帰るか…。
2024年3月21日木曜日
土佐国一宮 土佐神社参拝 2
2024年3月20日水曜日
土佐国一宮 土佐神社参拝
時が戻って四国一宮編。
荷物をなくしたので雨天走行ができず、愛南町で2泊したあと、雨上がりの朝愛南町から高知県まで一気に足を伸ばす。晩秋の雨上がり早朝、猛烈に寒かったが雨具も防寒具もバッグごと落としてしまったのでどうにもならなかった。土佐国一宮、土佐神社に着いたときは冷えっ冷え。
途中から日が差してきてくれて助かったわ。
2024年3月19日火曜日
ブロッコリー死屍累々
2024年3月18日月曜日
かえるちゃん
耕運機を回していたあたりを見ていたら、何かが動いた。目を凝らすと土にまみれていたあまがえるちゃんを見つけた。
・・・どうやら眠りから叩き起こしてしまったみたいだ。申し訳ない。
そっと手に乗せて日当たりの良いほうれん草のあたりに移動しておいた。昨年の夏からこの畑にいるあまがえるちゃん、害虫をバクバク食べてくれる心強い味方だ。叩き起こしてしまい申し訳ないが、今年もよろしくね。
2024年3月17日日曜日
益虫
種芋をぶった切って草木灰を切り口につけておく。少し乾くのを待つ間に今夜食べる野菜、今週食べる野菜の収穫準備をしておく。
青梗菜を見ていたら益虫のナナホシテントウがいた。3月になるとポツポツ見かけるようになってきた。ということは、アブラムシも出てくる季節か。
益虫、ほかにもでてきているかな?
2024年3月16日土曜日
たねいも
先程の畝立て、畑に入るのはこちらの写真にあるように春の家庭菜園の人気者、じゃがいもだ。
今回はメインクーン、じゃなかったメイクイーンを用意した。昨年はメイクイーン、男爵、キタアカリと3種準備したが、掘ってみたらメイクイーンは長細いので判別できるが男爵とキタアカリが訳わからなくなったのでメイクイーンをメインにしてあとで不足分を男爵を買い足そう、と計画している。
・・・メイクイーンの種芋買いすぎた、ってのもあるんだけど。
草木灰も買って準備万端だ。
2024年3月15日金曜日
春のイベント準備
帆布製サイドバックを落としてふて寝していたら春になった。(四国一宮編はいずれ再開予定。)
自分の畑の準備をしなきゃな。ってことで米ぬかを散々ぶち撒いてリン酸の補充だ。久しぶりにホンダの愛車、OHV1.7馬力の耕運機「こまめ」に畝立て用の培土機をつけて畝立てだ。
久しぶりの畝立て、なかなか勝手がつかめないけど身体に覚えさせないとな。
2024年3月14日木曜日
雨降り
愛南町の山城屋でひたすら落とし物の問い合わせを行う。香川・岡山・広島・愛媛各県警に問い合わせをし、遺失物届けを出す・・・。
そして翌日は終日雨模様。荷物をなくした金銭的損害、着替えや雨具・防寒着を落とした旅先での装備の損害、その他精神的な衝撃がかなり重くのしかかってきた。
・・・酒呑んでしっかりふて寝だ。
・・・何もやる気が起きないわ。財布とスマートフォンは落とさずに済んだのがまだ救いだ。
2024年3月13日水曜日
ああああ!
道中で落としてしまった、ハイパーモタードで出かける際にいつも一緒だった帆布性サイドバックの中身を山城屋で考えてみると着替えを全てを落とす、タブレットを無くす、その他食器などもなくなる、かなりキツイことに気づいてきた。財布とスマートフォン、充電器が無事だったからまあなんとかなっているが、どうにもならん。
さあ、困った…。
2024年3月12日火曜日
愛南町 山城屋に泊まる
2024年3月11日月曜日
紫電改展示館
道の駅多々羅しまなみ公園から210キロ以上、高松の宿からは道の駅多々羅しまなみ公園までも170キロあったので400キロ近く走ってきた。
愛南町の紫電改展示館まできた。道中、ああ、地方に来たなぁ。と実感する対向2車線の自動車専用道路を延々乗ってきた。
ここでは終戦間近まで松山から日本を護った紫電改の部隊の歴史を勉強する。平和は無料のものでも与えられるものないからな。
淡路国一宮 伊弉諾神宮参拝 2
伊弉諾神宮といえばこの太陽の運行図が有名だよな。少し前にサングラスした老人が徘徊する有名な番組でも取り上げられていたようだし。
これはレイラインなんて言って古代の遺跡を結ぶと直線になったり・・・。なっていうオカルトだな。
・・・いや、ここ伊弉諾神宮も関係している関西の逆さ五芒星、鹿島神宮・皇居・富士山・伊勢神宮・高千穂神宮の2つのラインは出来すぎだと思う並びなので実際になにかあるのかも知れない。
2024年3月10日日曜日
道の駅 多々羅しまなみ公園にて
2024年3月9日土曜日
伊予国一宮 大山祇神社参拝 3
大山祇神社でグーグルマップ上評価が高かったのはこちら宝物館。
でも実際言ってみたら☆1だった。まず展示物の写真も撮れない。無銘の刀が錆びるに任せ放置されている、その上展示方法がなんのセンスも感じない。説明書きに至っては手書き…。
手書きが悪いとはいいませんがね、もう少し日本中の博物館や美術館の展示方法を見てきたほうがいいと思いますよ。展示センスが昭和後期の市町村の博物館と変わりません。はっきり言ってダサすぎ、客も展示物も舐め腐っている。
国宝他展示物が泣きますし、神社が笑われるレベルのセンスの無さで恥を晒すと思いますよ?瀬戸内市の備前長船刀剣博物館がそれほど遠くもないし刀剣の展示をするにはいい見本なんで見てくることを勧めます。錆びた無銘の刀剣を磨くことも勧めますが、同時に展示センスも磨いてください。歴史的な刀剣、甲冑に失礼です。
2024年3月8日金曜日
伊予国一宮 大山祇神社参拝 2
こちら大山祇神社の拝殿。サイドバッグを落として狼狽しているが、こんな精神状態でもとっても歴史を感じる。調べてみたら応永34年(1427年)に再建され慶長7年(1602年)に大改修されているらしい。大改修されてから既に420年!!毎週参拝している鹿島神宮の拝殿や奥宮より少し古い。鹿島神宮の拝殿より歴史があると言うだけで相当歴史があると感じる。
鹿島神宮大好き人間には比較するものすべてが鹿島神宮の何々と比べ・・・。となるが、鹿島神宮奥宮が慶長10年の1605年だからとにかく歴史がある。
なんせ徳川家康が生きていた時代で、時代劇で有名な水戸黄門や大岡越前にいたっては生まれてもいない時代だもんな。
2024年3月7日木曜日
伊予国一宮 大山祇神社参拝
・・・。あれ?ハイパーモタードにサイドバッグがない。高松からここまでの間でサイドバックを落としてきた。旅の中止を考えざるを得ないほどの損害だ。テント、寝袋、防寒着、雨具、下着類、タブレット、食器類などなど。
一体どこで落としたのかさっぱりわからない。あれだけ重かったのにどっかでふっとばしてしまった。
(山陽道で飛ばしすぎたかもしれない…。)
2024年3月6日水曜日
岡山だけじゃなかったのか…。
朝納豆うどんをこれでもか、という量を食べたあと、一度岡山に渡って広島側から伊予国一宮を目指す。
その際、高松市内で危うく用水路に落ちそうになった写真がこれ。左折しようとすると用水路に蓋もガードレールもない。左折先の左側は蓋も何もない用水路になっている。岡山にいると注意するんだが、香川でも注意しなきゃならないのか!
まあいいや、もう香川から出るし。うどんも朝営業して夜やらない店も多いし、冷凍うどんや関東でも讃岐うどんのうまい店増えたしな。岡山・広島も高速で通過するだけだから、この件は素直に忘れることにしよう。
2024年3月5日火曜日
朝の暴挙
高松に宿を取って朝ごはんをいただく。讃岐と言ったらうどんだよな。
ということで朝からうどんを食べる。関東人からするとうどんは朝食べるものではない気がする。朝から食べるものといえば納豆。ということで納豆うどんをガッツリ食べていると写真のようになった。
神戸出身者にたまたま朝連絡する機会がありこの写真を送ったら「暴挙」と言われた。
・・・うどんに対する暴挙なのか、納豆食い過ぎという意味での暴挙なのか、聞くのも面倒だったが、多分両方だろう。
2024年3月4日月曜日
栗林公園を歩く
2024年3月3日日曜日
讃岐国一宮 田村神社参拝 2
田村神社参拝で境内に入るも、なんだか心が落ち着かない。先程ハイパーモタードを停めたところから参拝する際に、参拝経路のあちこちにこちらの神社の神々様とあまり関係のないと思われる寄進された色々のものが気になってしょうがない。なんか闇鍋のような怪しさまで感じだす始末・・・。
主祭神様は倭迹迹日百襲姫命。やまとととひももそひめのみこと。ふつう、まず読めない。よく調べてみると神話の時代から弥生時代のあたりで実在しそうでしなさそうな時代の神様のようだ。
後の世ではこちらの神様が魏志倭人伝や記紀で実在の人物と特定されるかもしれない。