調べていた大叔父の最期が分かってきた。相当略して書くと宇都宮の第41師団歩兵第237連隊に所属していたようだ。第41師団が北支戦線にいた頃に加わったのか、ニューギニアへ行く頃に加わったかは分からない。
最期は昭和19年7月10日からのアイタペの戦いのようだ。この戦いは川を隔て米国陸軍と日本陸軍が対峙、米国陸軍は制海権、制空権確保、海からオーストラリア海軍の援護射撃などを受けられる状態。日本陸軍は補給もままならない状態だったようだ。食料はこの日で無くなっていたようだ。
河口から上流の渡河点を第20師団と水戸の歩兵第237連隊が奪取、食料などを鹵獲し、対岸の「アフア陣地」を包囲した。(日本陸軍は対岸の敵陣包囲中。背水状態)
7月13日以降、米陸軍、豪海軍の反撃が始まる。
7月15日、米陸軍は渡河点奪取、(=川向こうに第20師団、水戸の歩兵第237連隊取り残される。)
7月17日、宇都宮歩兵第239連隊が第20師団、水戸の歩兵237連隊を救出すべく渡河点を攻撃も上手くいかず。
7月22日、この頃までに水戸の歩兵第237連隊は壊滅状態。撤退。
・・・。とあった。大叔父は戦没日の7月29日からすると、川向かいの敵陣まで切り込み、戦い抜いて撤退したあと亡くなっている。激戦の死地から生還するも勇戦及ばず、撤退後無くなったようだ。17日から8月1日まで大きな戦闘の記録が見つからなかったので、恐らく餓えとの戦いか、戦傷が元だったか・・・。合掌。
ネット上のいろいろな資料を漁って、何とか最期が見えてきた。(気がする。)水戸の歩兵第237連隊、終戦の日まで生存していた人数は4,018人中、わずか46人とのこと。生存率1.14%。
ここまで調べて、大叔父は遠いニューギニアの土の中からどういう思いで自分の調べた結果を見てくれているんだろう・・・。
御先祖様、親戚に戦没された方がいる方は、お盆が終わったけど調べてみると供養の代わりになると思う。貴い犠牲の上に今があるのだから。