鳥居が太くなるとお山を下りてきているのを実感する。
自分の階段トレーニングは歩道橋階段の単純往復。1回で72回ほど往復する。1回あたり5mの勾配として、360mの登山と同じ運動になる計算。
72往復になんの意味もなく、60だと物足りず、100やったら翌日に微妙なだるさを残してしまった、その上でのこの数字。
伏見稲荷に行こうとする人で近所に歩道橋他安全な階段がある人は是非階段トレーニングしてからのお山参拝を勧めますよ。事前運動ないと3~5日くらい筋肉痛と確実にご縁ができますから。
鳥居が太くなるとお山を下りてきているのを実感する。
自分の階段トレーニングは歩道橋階段の単純往復。1回で72回ほど往復する。1回あたり5mの勾配として、360mの登山と同じ運動になる計算。
72往復になんの意味もなく、60だと物足りず、100やったら翌日に微妙なだるさを残してしまった、その上でのこの数字。
伏見稲荷に行こうとする人で近所に歩道橋他安全な階段がある人は是非階段トレーニングしてからのお山参拝を勧めますよ。事前運動ないと3~5日くらい筋肉痛と確実にご縁ができますから。
主に下り階段がメインとなり、一日中歩き回っていたので幾分楽になる。楽になるもののなんだか寂しくもなってくる。ああ、今回の京都ももうラストスパートなのか。と。
それにしても前回は平坦を毎週30km程度走って体力には自信があったのに上り一本で足が悲鳴を上げた。今回は週に3~5本の階段上り下りトレーニングで準備してきたら足は半年前と違って全く悲鳴を上げることはない。そりゃあ上りはつかれるけど足パンパン、なんてことはない。
完全な事前準備成功だな。
こちらには複数名の参拝客の方が先客でいらっしゃった。よほど深い願掛けをしているようで、後ろで待っている間に体が冷えてくるほどだった。
自分にはそこまで願掛けするものはないな、と後ろで待っている際に考えていた。
自分は鹿島神宮の稲荷社をはじめ各地の稲荷社のご縁があって本家伏見稲荷に参拝しているが、そこまでの信仰心があったのか?長く祈る願いがあったのか?
だいぶ考えさせられた数分間だった。
藪からガサガサと音が聞こえてきた。その後、養豚場で聞くフゴフゴ・・・。との鳴き声が聞こえだした。この前日に山猿を見ているので遂に至近距離でイノシシ遭遇か?と胸が高鳴る。
普通はそっと逃げるのが正解なんだけど、偶々ここは鳥居の間隔が非常に狭くイノシシが突撃できない。更にフゴフゴ音がしまくっているので落ちている椎の実を食っていて、人間と争うことはないな。と思ってシャッターを切ってみた。
・・・うーん、なんだかわからないな。ヘッドライトの明かりが強すぎて草むらに隠れちまった。
日が落ちてからの四つ辻より上はどちらも日の出ている時間とは全く雰囲気が変わる。
この夜の感覚は人によって感じ方が極端に変わりそうな雰囲気だ。
静寂と闇、沈黙から感じる神々しさを「畏怖・恐怖」と感じてしまうか、素直に神々しさを受け取れるか、なかなか難しいんじゃないか?って思う。この神々しさを感じていたくてゆっくり参拝する。
ヘッドライトがなく単縦陣で上がってきた観光客の一行はヘッドライトなし、スマートフォンの明かりを手にすでに先に進んでいる。無事かな?
なんか異様な雰囲気を醸し出してしまっている写真が取れた。なんでだろうな?自分が参拝していた時は怖い雰囲気なんて全く感じなかったんだけど。
折角登ってきたのでありがたく参拝して次を目指す。
夕方というよりかもう夜になってきたな。
日も暮れて持ってきたヘッドライトを準備する。ほとんど周囲に人がいなくなったもののまだポツポツ人がいる。観光客だとヘッドライト他照明がないので自分が先行し単縦陣で進んでいくことにした。
蛍光灯があるのだけれど、足元が現代人に慣れたアスファルト舗装ではないのでちょっとしたことで躓きやすい。
随分慣れていらっしゃいますね、と言われたが今日が2回目なんですが・・・。適当なサイト見て夜でも参拝可能って見たようで、門を閉じないから参拝可能なのか、ヘッドライト等照明なく安全に夜道を参拝可能なのかの判断を誤ったみたいだな。
ぜえぜえ。朝一回お山を回って更に石清水八幡宮、お山ダブルヘッダーになると流石に体力的にも・・・。意外と疲れを感じない。
週に3~5回、勾配差350mの階段上り下りをやっているとここまで体力つくの?と半年前に1回登っただけで筋肉痛になった人間は驚愕する。
平坦を週に25~50km走っていても筋肉痛になったのに、階段を使った勾配トレーニングはここまで効果があったとは!!
美しい夜景を眺めつつ、階段を使った勾配トレーニングの有効性に感心しきり。
そろそろ本格的な夕闇の時となってきた。千本鳥居から急に人が減ってきた。まあ、常識的に考えりゃ闇夜に参拝したいって人はそうそういないだろう。
でも、明日の朝の高速バスで関東に戻るので少しでも京都を、伏見稲荷を参拝したいから気持ちがはやってどんどん足が進んでいく。
石清水八幡宮でも赤く染まった紅葉を見て季節を満喫していたが、伏見稲荷でも再度赤く染まった紅葉を見て季節を満喫する。
昨日の同じような時間に参拝したんだが、1日であからさまに紅葉が進んだ、と感じられる。桜の1日も変化が大きいが紅葉も同じなんだな、と実感した。
夕方でもお山に登る人は結構いるみたいだ。少し心細かったので安心する。
昼に宿から石清水八幡宮に向かった際に夜間参拝用のヘッドライトを荷物に入れていたか怪しいが、ここまで来たら夕闇のお山もなんか楽しそうだ、と足がどんどん進んでしまう。
播秋の16時、どう考えてもこれからお山参拝したら夕闇の中の参拝だ。でも、夕闇の参拝もしてみたい。闇夜になるのが明白、でも参拝したい気持ちが勝ってどんどん足が進んでいく。
・・・お導きでしょうな。
石清水八幡宮からお宿に戻る途中、伏見稲荷に吸い寄せられるように立ち寄る。
この日は朝すでに参拝しているんだが、なんだかまた立ち寄ってしまった。京都に滞在できるのは明日朝まで。時間は限られている。お山を登るのに体力はまだ余力もあり、腹も減っていない。
・・・行けるか?
特別なもんでもないんだろうけど、京都の街で見つけると景観にあっていていいもんだな、とふと思った。
我が街にもサッカー関連のラッピングされた自販機があるけど、リーグのスポンサーだったりする関係がある。自販機メーカーとラッピング、なんの関係もなさそうだけど景観に合うラッピングはいいもんだと思った。
確かにお社、社殿が年代物な気がするけど石清水八幡宮から降りてきた際に参拝した稲荷のお社ほどは朽ちていない。早いうちに修繕費用を集めるのかな?
童子切安綱との話、こちらの相槌神社ではウカノミタマ様と刀を打って、伏見稲荷の四つ辻よりも上ではキツネちゃんが相槌打ってたって昨日見たぞ?
相槌神社の謂れ、伏見稲荷の謂れを両方正しいとすると、童子切安綱はウカノミタマ様が相槌打った1振り、伏見のキツネちゃんが相槌うった1振りがある、という事は実はもう1本童子切安綱の影打、もしくは真打ちがある、って説が成り立つな。
実に興味深い。
御本殿・社務所回収のお願いが目に入ってきたので読んでみる。
こちらの神社は相槌神社と言い、童子切安綱を打った安綱と稲荷の神様がこちらで刀を打った。とある。
???伏見稲荷の四つ辻よりも先に同じような謂れのある場所があったような???
小さなお社を見つけた。どうも稲荷のお社のようできつねちゃんが所々に佇んでいる。
せっかくのご縁なので参拝していくものの、どうももの寂しい。落ち葉が積もっているとか掃除が行き届いていないからかな?箒でもあるのならお掃除するんだけど、この時は何もできなかった。
箒があればお掃除したんだけどな…。掃除セウに帰ってきてしまったことはなんか今になって申し訳なく感じてきた。
一歩進んでみると、自分の目線からでは影になって見えない部分に想像以上の落ち葉が溜まっていた。
気をつけて下りたつもりでも、実は1歩目でズルっと滑った。極度の腰痛持ちなんでビビって1歩目を踏み出したのが幸いしてそんなに腰にも響かなかったのは運が良かった。
それほどウェットではなくても滑ったもんだからこの先結構長そうだけど相当慎重に降りないとな。簡単にコケるぞ…。
出先での石段での転倒なんてシャレにならない。せっかくの京都、タイム・イズ・マネーだとしてもここでの無理はしないほうが良さそうだ。
石段の端々に美しい紅葉が積もっていた。見た目には美しいが、下りの階段で落ち葉が積もるのははっきり言って極めて危ない。手すりがあればいいが、そんなもんはない。
年配の人間は落ち葉のこの時期は下り階段は使わないほうがいいな。すっ転んで怪我するし、階段って場所からして救急車が立ち入れない場合、救急隊の皆さんに非常に迷惑をかけかねない。
自分も用心せねば。
フラフラ歩いてきたけど、写真に撮ってみたら結構奥行きが深い。左右に並んだ石灯籠を眺めていたりところどころに鮮やかに紅葉した樹木を眺めたり。
しっかり石清水八幡宮を堪能したんでそろそろ帰り道を探そうと思い周囲を眺めだす。来た時は腹一杯で幾分苦しく、山登りを怠けてロープウェイで来ちまったからな。帰りくらいは歩いて帰りたい。
更にフラフラ歩く。余りにフラフラしまくると不審に思われるかも知れないけど、観光客だからまあいいよな?
石清水八幡宮の本殿周りをぐるりと回って、本殿に別れを告げる。家族連れの写真を撮った際、家族みんなから感謝されたけど、周りにも人がいたんだからシャッター押してやってもいいと思うんだよな。
本殿から参道を歩いていくと石灯籠が並び紅葉が美しかったので写真を撮る。地元は気温差があまりないのでここまできれいな色が出ない。
しばらく写真を撮った後眺めていた。深呼吸したり、周りをウロウロしたり。日頃なかなか感じられない雰囲気を全身に感じ、そして満喫する。
鮮やかな黄色が目に入ってきた。本殿の奥は大きな神社によくある摂社・末社がいくつも並んでいた。その途中も仮設の足場がかけられていて何らかの修繕を行っているんだな、と漠然と通り過ぎる。
特に写真を撮ることもなくフラフラ先程の正面に戻ると3世代で本殿を前に七五三の写真撮影を、と家族連れが並んで三話お客が切れるタイミングを見計らっていた。折角の家族写真で1人かけているのは縁起でもない、と思いシャッターを押すのを申し出るとえらく感謝された。
いや、大したことしてないけどさ、何年もたった後の写真を見直して家族の誰かがかけているのをはどんなにきれいな写真であっても、いい写真とは言えないし。それよりなにより、家族全員が写って初めての家族写真だろうし記念写真だろうし。
時期的に七五三の家族連れが多かったけど多少待っていれば人が切れたので無人の写真がとれた。
人が少ないのがいいことなのか?と言われたら微妙な気がするけど、ごった返してギャーギャーうるさかったり、大陸や半島の言葉が聞こえないだけありがたいかも知れない。
販売所の屋根がなんだか寂しい。ハゲ散らかしてる。
杉皮か檜皮が吹き飛んでしまったのか、銅板葺きなのか中途半端でみすぼらしく見えてしまう。
平野神社のように建造物倒壊でもないのであれば、石清水八幡宮ほどの社格をお持ちであればすぐに修繕できそうな気がするんだけどな…。
やっぱり予算の関係なのかな?神域が汚れていたり綻びがが目立つと個人的には凄まじくご神威が落ちてしまうと感じるんだよな。
あらら、足場がかかっている。どんな修繕かわからないけど、修繕ご安全に!
平野神社も大修繕中だったし、京都の神社は修繕の時期、大定修の時期なのか?と工業的に考えてしまう。でも平野神社は台風での損傷での大修繕、こちらはそこまでの規模ではなさそうな雰囲気だな。
伏見の、京都の酒造メーカーの名前が勢揃い。松尾大社参拝のときにも思ったけど、このように全国に名だたるメーカーが揃っている京都で、格安で猪口1杯程度を気軽に飲み比べられるお店がないもんかね?
酒造メーカー合同とか酒造組合でなんとかやってくれるといいと思うんだよな。よく調べてみたら新潟には越後湯沢にあるみたいなんだよな。前例があるんだからできると思うんだよな。
武漢肺炎蔓延後、手水舎の柄杓が絶滅してしまい手水舎自体も閉鎖してしまったところがそこそこあるなか、石清水八幡宮は柄杓はないけど手水舎はあった。
どこの神社であっても手水舎で身を清めないと神社参拝している気分がしてこない。神域に入るのにまずは身を清めねば!
二十二社を周ろうと思い今回は参拝場所を決めているから北野・平野・松尾・伏見と来て今度は石清水八幡宮。
来る前にラーメンで塩分を採って、ロープウェイで高いところにビビりまくり、嫌でも血圧が上がっているのが実感できるからこちらでリラックスを…。と思ったけど体質的に不安な源氏神社じゃないですか。来る前にわかっちゃいたけど。
坂東平氏の自分の体質は源氏由来の神社などは具合が悪くなる可能性が高いんだよな。なんか不安だぞ??
今回は電車で移動。第一旭で食いすぎた、と言うわけではない、と言いたいところだけど幾分食いすぎた気がする。電車移動中にゆっくり消化すりゃあいいや。
で、ちょっと電車に乗って今度はロープウェイに乗る。ロープウェイに乗らずに歩いていく計画だったんだけど、食いすぎたおかげで歩くのがしんどくなったんで、駅を降りて直ぐのロープウェイについつい乗ってしまった。
しかし後で気づく。自分は高いところが大嫌いだ。動き出して景色が変わっていく。
標高が上がるとともに高いところが大嫌いな自分の血圧も上がっていく。やべえ、周り見るゆとりがねぇ!怖えぇぇぇ!!!
第一旭龍谷大横店にて。ネギ超大盛りの唐揚げセット。結局シャワー浴びたら3時間以上じっくり眠り、起きて直ぐ徒歩圏内の第一旭龍谷大店の美味しいラーメンセットをいただく。第一旭、2日で3杯目だ。
かなりのボリュームに見えるが、朝から山登りしているのでこのくらい軽く食べてしまった。なんとこの後も軽く山に登りそうだし、エネルギー源、タンパク源、塩気が取れる唐揚げセットは言うことないごちそうだ!!