寄り道は旅の醍醐味ってのが二輪旅だし。
それにしてもここの写真撮っている時の帰ってきた感が凄かった・・・。息栖神社の神栖、香取神宮の香取、そんなに遠く離れてるわけではないんだけど・・・。
参道入り口大鳥居が地震で倒壊後少し寂しくなったけど、26年6月に再建予定だからあと1年ほどの辛抱。奥に見える楼門に掲げられているこちらの扁額、明治の大軍人、東郷平八郎大元帥直筆だそうだ。鹿島神宮本殿。奥に見える大きな木がご神木。鹿島神宮しか大きな神宮・神社に行った事が無かったうちは気にしなかったが、参道の正面に本殿があるのが神社の標準的な形なんだよな?鹿島神宮はなんで参道の横を向いているのかが気になった。
日本建国神話wikipedia 「建御名方神(たけみなかたのかみ)」によると、
建御雷神が大国主神に葦原中国の国譲りを迫ると、大国主神は御子神である事代主神が答えると言った。事代主神が承諾すると、大国主神は次は建御名方神が答えると言った。建御名方神は建御雷神に力くらべを申し出、建御雷神の手を掴むとその手が氷や剣に変化した。
これを恐れて逃げ出し、科野国の州羽(すわ)の海(諏訪湖)まで追いつめられた。建御雷神が建御名方神を殺そうとしたとき、建御名方神は「もうこの地から出ないから殺さないでくれ」と言い、服従した。このと建御名方神の力くらべは古代における神事相撲からイメージされたものだと考えられている。なお、この神話は『古事記』にのみ残されており、『日本書紀』には見えない。・・・。とあった。俗な言い方すると鹿島神宮の神様、建御雷神が、諏訪大社の神様の建御名方神と喧嘩して、諏訪まで追い込みかけた、って事らしい。それで鹿島の建御雷神は諏訪の方向を睨んでいる・・・。って事らしい。スタイリッシュ罰当たりアングル、本殿賽銭箱からのアングル、こちらに諏訪大社があるのね・・・。
楼門も本殿も、この地味な建屋の奥宮も、全て重要文化財。年代的に古い順番に並べてみた。奥宮 (左写真)
1605年(慶長10) 徳川家康が本殿として奉納された。倅の秀忠が現在の本殿を14年後に奉納したので移築。
本殿 (2枚上)
1619年 (元和5)上記のように秀忠が親父の功績を消したいかのような行為で、親父が寄進した現奥宮より大きな本殿を奉納。
楼門 (3枚上・左奥)
1634(寛永11) 家康の11男、水戸初代藩主頼房が兄貴の愚行を見てKYしたか張り合ったかは永遠の謎だが、本殿でなく楼門という形で寄進。
なんだか徳川家から寄進された歴史的な建造物が先の震災にも耐え、400年も現役な重要文化財って言うのが凄い・・・。重要文化財が凄いというか、個人的には維持してきた宮司さんや氏子、何より400年前の宮大工に敬意を払わざるを得ない。
右は更に徳川家に由来のある、というか逸話がある、地震除けで有名な要石。奥宮から300m位歩いた樹叢の中にある。見に行く、というより、この樹叢中を散策するだけでも価値があると思う。
鹿島の要石は香取神宮と違ってモグラにほじくられては居なかった。が!奥宮寄進の家康の孫、楼門寄進の頼房の倅、水戸黄門こと光圀が七日七晩ほじくり返した、という伝説のある要石が左写真。・・・無茶しやがって。香取は凸型、鹿島は確かに凹型だ。
若かりし光圀、親父が楼門寄進して宮司さんがきつく言えなかった(推定)からやりたい放題だなwww
結局、掘りきれなかったのは香取と同じらしい。でも洪積台地の常総台地に当たる鹿島、香取に大きな石があるのは謎だと思うんだ。やっぱりナマズのおもりかな・・・?
鹿園。鹿島神宮の神の使いでもあり、アントラ-ズの名前の由来だったり。
看板によると、藤原氏による春日大社の創建に際して、神護景雲元年(767年)に、白い神鹿の背に分霊を乗せ多くの鹿を引き連れて1年かけて奈良まで行ったとされている。
で、今の江戸川区鹿骨で長旅の途中、鹿が死んだためこの地に葬った。これが「鹿骨」の地名の由来とされる。
wikipedia 「鹿島神宮」 「鹿骨」も参照。
鹿さん、長旅お疲れ様です。今の鹿島の鹿は奈良の系統らしい。本家断絶で養子もらったんだね。奈良まで往復、大変でしょう、ニンジンでもいかがですか?
・・・という前に、売店でニンジン代¥100払って、振り返ったらすぐ目があった鹿、自分から目をそらさない。ディフェンスに定評のある池上や一之倉も真っ青なマーク・・・。
むしゃむしゃ、というか、ペロペロ舌伸ばしてくる。油断するとあっという間に鹿さんのよだれまみれになる。神様の使いにこんなこと言って良いのか判らないが、かわいい。
本殿から見て西、諏訪大社のある方角に宝物殿がある。そういや、拝観料¥300ケチって何十年も入った事がない・・・。ちょっと中に入ってみた。写真撮影禁止なので、写真はない。今まで散々写真取った重要文化財の更に上、国宝の
読みは少し怪しい。我流で勘弁・・・。刀の刀身だけで無く、拵え、収納の木の櫃セットで国宝。
- 「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」「平国剣(ことむけのつるぎ)」とも呼ばれる。柄(つか)・鞘を含めた全長2.71m、刃長2.24mの直刀。奈良時代末期から平安時代初期の制作。現存する伝世品(出土品でない)の日本刀の中では、古例の1つであり、また刃長の点では最大の作品とされる。長大な刀身を作るために、途中4か所で刀身を繋ぎ合わせるという極めて珍しい手法を使っていることが判明しており、技術的にも貴重な存在。外装(柄・鞘)は、黒漆塗りの上に平文(ひょうもん、金銀などの薄板を貼って文様を表す技法)や金銅透かし彫りの金具で装飾を施した古様な技法によるもので、正倉院の「金銀鈿荘唐大刀」の流れを汲む。
等、重要文化財級の工芸品が何点も保管されていた。個人的には日本刀(国宝の他にも何点も保管されている。)だけ見ていて約1時間経過。備前長船も実はあったり、見応えがあった。
今回はいつもの鹿島神宮散策とは違っていろいろ見てみた。これにて東国三社参り完了。