2021年6月30日水曜日

四谷 陽運寺訪問18

豚のしゃぶしゃぶ弁当!


 お品書きを見てなんだかときめく。日頃家では納豆ご飯になにか1品あればなんの問題もない江戸時代真っ青な粗食で過ごし、外ではラーメンくらいしか食べないのでいろいろ入っているお弁当にときめいてしまう。

 日頃極めて粗食なのにその筋肉量はおかしい、とよく言われるが、素食な動物、草食獣のほうがでかくて筋肉質なんだよな。肉を食べすぎたらすぐ持たれるし吐くし下してしまう。しゃぶしゃぶ弁当くらいであれば問題なさそうだ。(多分)
 

2021年6月29日火曜日

四谷 陽運寺訪問17

陽運寺でのお昼ごはん。


 本当は予約制だったそうだが、1個だけ余っていたのかキャンセル出たのか、食べられることになった。友人は特にお腹減っていないらしい。お互い、5時台には起きているはずなんだけど、お腹減っていないってのも気になるな。


 で、自分だけ美味しくいただくことになってなんだか申し訳ないな、と思いつつ、実際はかなり空腹だったので遠慮なくいただく。友人を1時間以上みっちりマッサージと生霊剥がしやったらそりゃ腹も減るか。
 

2021年6月28日月曜日

四谷 陽運寺訪問16

 で、話が戻ってくる。


  自分にやばいものを移した、と言っても8~9割なんだけど、ここが限界。全部は移しきれてない。そんな状況でもとにかくどこかに行ってやばいものを振りほどきたい、そんな思いで訪問したのがここ四谷陽運寺だった。

 場所の希望は友人の希望だった。自分はここ10数年は筋金入りの神社神道派なので寺院というのはなんか新鮮な気がする。

 ただ、新鮮な感覚だが神社でいつものようにやばいものを振り払えるというか降ろせるか?は未知数でもある。神社ならあまり気にしないんだが、お寺はどうなんだろうな・・・?相性もあるだろうし。

2021年6月27日日曜日

四谷 陽運寺訪問15

 陽運寺を訪問する前になんで自分に移したのか?と言うと、友人の体調悪化が見るに堪えない状況まで悪化していたから。

 マッサージが終わったあと、立ち上がって首や肩を回したとき、こんなに軽くなったの何年ぶりだろう?なんて言って目が輝いていたのを見ると、暗い時間に起きて遠いとこから来てマッサージした甲斐があった、ってもんだ。

 ただ、自分が仮受したものはどんだけ重いものなのか。マッサージしたあと5分休憩。といったものの5分は言葉も発せず、次の5分は体が動かず、次の5分は涙が流れるだけだった…。


 憑かれると疲れる、をまさに体現していたもんな。んで、一時的に自分に移して陽運寺で生霊との縁切りを果たす。

2021年6月26日土曜日

四谷 陽運寺訪問14

 日陰の陽運寺。日差しがきつい季節だ、日陰がありがたい。


 こちらを伺う前、友人の体調不良回復と、なんとはなしに何人もが気づいていた生霊をマッサージしながら自分に移したときのことを書いてみた。

 ・・・我ながら頭おかしいな。見る人が見たら筋金入りのバカ野郎、もしくは頭のやられたやつだ、そう思うに違いない。


 実際そうだろうしな!

2021年6月25日金曜日

四谷 陽運寺訪問13

 陽運寺。色々おしゃべりして、絵馬書いていい時間が過ごせている。

 こちらに来る前、マッサージのお話。

 マッサージ、足首周りから頭・首筋まで行って一旦終了。相当凝っていた。凝っていたなんてもんじゃない。1時間以上やって完全にはほぐしきれなかった。


 やばいもんの方は自分に移った気がする。目から下が重い。目は大丈夫。あまりない感覚なんでどうなのかが断言しにくいが、誰にだって初めてはあるもんな。

2021年6月24日木曜日

四谷 陽運寺訪問12

陽運寺、こちらの野点傘の下で色々おしゃべりしたな。

 こちらに来る前、マッサージのお話。

 友人へのマッサージは佳境、肩の肩井、首の天柱、風池をグリグリしだすとほえ~…。と気持ちよさそうな声にならない声が聞こえてくる。

 永年の疲れを取るため、このリラックスのために遠くから来た甲斐があったわ。


 と同時に自分には違和感が。不思議な感覚、目から下の全身に重さのようなものを感じだした。生霊と言われるものが自分に移ったような気がした。

 遂に来たか?

2021年6月23日水曜日

四谷 陽運寺訪問11

陽運寺、お庭の作り込みがとてもキレイ。


 こちらに来る前、マッサージのお話。

 友人のマッサージ、膝裏をグリグリしたあとは腰に回る。腎兪と志室にもかなり特徴的なゴリがある。集中してほぐしに掛かるけどこりゃあ一回で同行できるもんじゃないのかもしれない。特に右。


 硬いゴリを潰しにかかると、なんだか重いねっとりとしたものが自分の肩の両側にまとわりついてきた気がしてきた。

2021年6月22日火曜日

四谷 陽運寺訪問10

 苔玉、かわいい。

 こちらに来る前、マッサージのお話。
 足首周りをグリグリしたあと、ヒラメ筋近く、承山もグリグリ・・・したいが肝心のポイントがつかみにくい。もっと上に行ってから戻って来よう。

 生霊との波長が合ってしまうとエライことになる気もしつつ、引き剥がすためには合わせなきゃならない。こちらから細心の注意で探る。

 膝の後ろの委中って場所をグリグリして、かなりの違和感をかんじる。なんだか痛くて呻いているがまあ多少汗かくくらいの痛みでグリグリさせてもらう。崑崙とここが痛いとか反応があるとあとはどこをぐりぐりするかがわかりやすい。

2021年6月21日月曜日

四谷 陽運寺訪問9

こちらに来る前、マッサージのお話。

友人への対頭痛マッサージは左右のくるぶしからアキレス腱の間をグリグリし始める。頭痛いのに足首まわり?っていつも言われるけど自分は対頭痛には大体ここから始める。

 雑談しながら足首周り、崑崙とか世の中で言われる場所をグリグリして違和感を探す。

 と同時に雑談しながら生霊と言われるものの感触も探る。自分の両方のこめかみにザワザワした嫌なものも感じるが、ラジオで言うチューニングが合わない。合ったら合ったで嫌な予感しかしないんだが…。

2021年6月20日日曜日

四谷 陽運寺訪問8


 四谷陽運寺訪問の前に数年ぶりに友人と会ったときにとんでもなく「疲れた」というか「憑かれた」感じを受けるのでは?と思ったけど思いの外そんな感じを受けなかった。
 でも、頭痛を改善するマッサージをし始めたときに何かしら、うまく言葉にできない違和感を友人の背中に感じ始めた。会ったときには影を潜めていた、嫉妬、妬みのタールスラッジのようなもののイメージが沸き立ってくる。特別強力な感情を持っているわけでもなく、ただただ重苦しい嫉妬や妬みのイメージ。直情的な自分にはあまり縁のなかった長年積み上がってきた重さのようなものを感じる。

 こんなもん背負っていたらそりゃあおかしくもなるな、と言うどす黒く粘凋で重い感情。直接には初めて感じる、100%マイナスの感情。マッサージをして頭痛解消の前にこの粘凋でどす黒いもんをできるだけ引き剥がさないとな。

2021年6月19日土曜日

四谷 陽運寺訪問7

友人の体調は慢性的な頭痛。この症状持ちなのは10数年前から知っていた。そしてなんとはなしに原因も。

 ただ、自分からなにか言うこともなく時々会う度に対症療法的なマッサージをすることはあったな。懐かしい。

 若い人間があまりならないような頭痛のパターンなのか、昔はマッサージする場所がつかめなかったけど、最近はここをぐりぐりしてから今度は…。と覚えてきた。

 自分も時折同じ症状が出て、鍼灸の先生に鍼打ってもらっているから身体が覚えるんだよな。
 

2021年6月18日金曜日

四谷 陽運寺訪問6

 こちらを訪問するきっかけ、体調の悪化や回復と言ったが、とらのすけと自分が強力な吐き気に襲われてからは数日が立っていて急性の吐き気はすでに収まっていた。

 その代わり、自分ととらのすけだけでなく四谷陽運寺訪問発案・同行の大事な友人も自分やとらのすけ以上の健康被害を受けていた。

 自分やとらのすけは完全に急性症状なんだが、友人は慢性的な健康被害、とまでは行かないけども体調不良に悩まされていて、自分やとらのすけの体調悪化に同調するように慢性的な体調不良が急性症状になりつつあった。

2021年6月17日木曜日

四谷 陽運寺訪問5

 絵馬を書きあげ、縛り付けた。


 何か一息つけた気がする。人間、溜まりに溜まった思いを口に出したり文字に書いたりするとどういうことか幾分気が楽になった気がするのは気のせいだろうか?

 先ほど絵馬を書き上げた時に自分の思いのありったけを絵馬に書き、友人に見せて確認してもらいその後修正、更に新しく書き直したものも更に確認してもらった。

実は神仏に願わずとも思いのありったけを文字で表現し、神仏ではない誰か、誰か大切な人に見てもらうだけでなんだか願いが叶ったような気がしてきた。


 気のせいか?身体も軽くなったような気がする。

2021年6月16日水曜日

四谷 陽運寺訪問4

先程の絵馬に願いを書き入れ、友人に校正をしてもらうと目的語抜けでイマイチわかりにくい、いや一歩間違うととんでもないことになりそうな文面だったことを指摘される。危ねえ。絵馬奉納の前に気づけてよかった。

 新緑美しい中、日陰を作ってくれている和傘の下で友人と休憩しつつ色々とおしゃべりするが、縁切りにしても縁結びにしてもこちらを参拝する方々は他の寺社参拝とは違って願が明確で深いね、との話になった。

 友人は自分と一緒だと日頃気にしないようなことが気になってしまうようだ。一人なら平気なのか?自分が感覚のアンプになってしまっているのか?と気になったりもする。

 悪縁切りの絵馬は縁が切れやすいよう蝶結びにして、縁むすびの絵馬はこれでもか!というほど縁が切れないよう念入りに結びつけた。

 40過ぎると友人は早々増えないし、同行の友人はとっても大事な存在。なんとしても悪縁が切れますように。自分との縁がなお一層深まりますように。

2021年6月15日火曜日

四谷 陽運寺訪問3

こちら陽運寺縁切り絵馬、縁結び絵馬。


 今回の縁切りは自分と生霊との縁切り。更には大事な友人を悩ます生霊と友人との縁切り。健康被害、本当にたまったもんではない。特に許さないのはとらのすけへの健康被害。動物が、我が家のネコが一体何をした?許さん。


 そして縁結びは・・・。友人とのさらなる縁結び。更には友人の最近起こした会社のいろいろな新しい縁むすび、ってとこか。

2021年6月14日月曜日

四谷 陽運寺訪問2

こちら、お岩さんと陽運寺の関係の立て札。


 生霊、そんなもんの存在なんざ信じない。という人間のほうが大多数だしそれが当たり前だろう。でも存在するんだよな。残念ながら。

 自分の見せられた夢、どうも生霊の発信元の人間が住まい兼事務所から外を眺めている景色だと判明。友人から更に自分に、更にとらのすけにまで健康被害を出すところまで被害が拡大してきた。

 そこまで被害が来たのなら、クソ田舎から都心にまで出ることも厭わない。友人を誘って、共に生霊発生元との縁切り祈願だ。
 

2021年6月13日日曜日

四谷 陽運寺訪問

こちら、四谷の陽雲寺。

 悪縁を絶ち、良縁に恵まれるというこちらに訪問することになったのは自分ととらのすけが突如吐き気に襲われ自分が体重激減、とらのすけに至っては5日も水どころかちゅ~るすら口にしなくなったことに関係がある。

 ふとしたことで、自分が見ていた夢がとらのすけを自分に紹介してくれた友人がかつて勤めていた建物からの景色だということが判明。その友人も、自分ととらのすけが体調悪化した日に酷いことになっていた。と判明。


 ・・・景色を見せていたのは友人の元勤め先の生霊か?
 

2021年6月12日土曜日

体調

 にゃ。

 とらのすけにゃ。

 去る日、我が飼い主が突然強い吐き気に襲われたのにゃ。同日とらのすけも突然体調不良に襲われたのにゃ。
 我が飼い主、数日続けて同じ夢を見たらしいのにゃ。その景色には田舎にはない、左に7~10階のビル、正面~右は砕石の駐車場、右には働く自動車が駐車中。奥には森と川。時間は日没後真っ暗になるかならないか、の逢魔が時。

 あまりに気になって、友人に連絡をすると・・・。奇っ怪な出来事、御開帳にゃ。とらのすけ、早くしないと参ってしまうにゃ…。

2021年6月11日金曜日

初夏のお酒

 旅の疲れを癒やす美味しいお酒が呑みたいな、と贅沢なことを思う。

 今回の岩手わんこそばツーリング、ETC割引がまったくなかったので贅沢やお土産がない質素なものになった。二輪でお出かけする人間が密になるとも考えられないんだが、二輪を乗らない人間がルールを決めているんだろうな。

 ちょっとの贅沢、ってことで京都伏見の季節限定の純米吟醸を飲もうかな?と思っていたときに友人から連絡が入り、何してる?と言われたので今から呑むところだ、と連絡を返しお出かけのお誘いを丁重に断る。正直疲れているし、気温差が激しかったのもあって風引くのも嫌だし、うつす、うつされるはもっと嫌だしな。
 

2021年6月10日木曜日

ばきばき・・・。

にゃ。

 とらのすけにゃ。

 フガフガ…。我が飼い主に雀のお土産見せたらえらいえらい!の撫で回しをさんざんして貰ったのにゃ。

 で、いつものように雀はいらないようなのでとらのすけがそのままいただくとするのにゃ。ばきばきばき・・・。骨が砕けるえげつない音を響かせながら残さずいただくのにゃ。
 

2021年6月9日水曜日

お土産やるにゃ。

にゃ。

 とらのすけにゃ。


 我が飼い主が轟音とともに帰ってきたにゃ。ここはとらのすけ、かっこいいとこ見せるにゃ。お土産もらうより猫缶もらうより先に雀とっ捕まえたので見せてやるにゃ。

 いっつも持っていっても食わないようなので多分このまま食ってしまっても大丈夫な気がするにゃ。

 

 ふがふが・・・。

2021年6月8日火曜日

帰路

笠間まで戻ってきた。

 なんで茨城のSAになると頭の悪そうな乗り物が2輪4輪関係なく増えるのか、ため息が出る。バカしかいないわけではないだろうに…。

 GWはこの辺は藤の花の季節だ。寒い雨の降る東北に行ってきたので、藤の花能作時期の日差しはとても暖かく快適な気温だな、と朝方まで冷たい雨に打たれていたぶんリラックスできている。寒いと体がこわばるし。


 さあ、家まであと少し。のんびり帰ろう。

2021年6月7日月曜日

餃子定食

遂にわんこそばツーリングも終わりが近づいてきた。会津若松を朝出発し、昼前には宇都宮手前、上河内SAまで戻ってきた。

 ここで友人と別れて自分は下道経由の北関東道、友人は東北道南下となる。

 お別れの食事として宇都宮W餃子定食をいただきながら旅の思い出話が盛り上がる。基本、道中雨だった・・・。行きは行きで震度5ストロングがあったおかげで途中通行止めの時間調整が入るし、なかなかイベント盛り沢山だった。雨の蔵王エコーライン超えは断念することになったし。


 お互い無事に家につくまでが遠足、との約束をしお別れとなる。うん、楽しいツーリングだった。
 

2021年6月6日日曜日

夕飯

 凍える道中をなんとか耐え、会津若松のお宿にたどり着く。
  即温泉に浸かり、友人ともどもやっと一息つけた。気温が10度前後の雨模様が道中続いたので身体が固まっていた。やっと体が緩んできたところで晩ごはん。ずっと二輪にしがみついていたので敢えて少し遠くまで歩こう、とのことになって、小雨降る中少しお散歩となった。

 菜華楼到着。友人と食いたいもんをこれでもか、と頼んだものの、二人共単車の運転しかしていないのであまり腹減っていなくて、お互いどうぞ、どうぞ。と譲る展開に!


 この辺も年取ってきたな、と実感する。本当に食が細くなってきた。

2021年6月5日土曜日

あられ

道中あられに降られた・・・。

 雹じゃないだけマシと言えばマシだけど、指先に加えジェットヘルなので顎先、喉元への直撃がきつくて途中で計画外の休憩を入れる。

 本当に無理です。

 多分、エアガンでいじめられた人間ってこういう思いをするんだろうな、と言う辛さだった。降り始めて数秒で減速したのに特に顎先と喉元は真っ赤に腫れ上がるほどの威力だった。

 同行の友人はフルフェイスの何食わぬ顔。


 ヘルメットの防御力の圧倒的な違いを見せつけられた。
 

2021年6月4日金曜日

雨宿りの温泉

雨宿りで休憩していたのは宮城県蔵王町遠刈田温泉神の湯。武漢肺炎がなかったら足湯で冷えた身体を温められただろうけど、立ち寄った日は武漢肺炎の影響で足湯をやっていなかった。


 クソムカつくな、武漢肺炎。

 神の湯で温まってから会津若松を目指そうか悩んだけども、どう転んでもこの先の道中も雨雲が通り過ぎていく雨雲予報のため、せっかくここまで来たのに温泉に浸からず出発することになった。悔しい。


 でも、出先で湯冷めして風引くのも嫌だもんな。仕方ないか・・・。 

2021年6月3日木曜日

土砂降り喰らう!

 岩手県から宮城県に入り、気温が幾分マシになってきた。雨は降っているものの、10度を安定して超えてきた。

 まだまだ雨の10度では寒くてたまったものではない、って感覚だが、雨の5度台を100km近く走ってきたもんで大分暖かく感じてきた。

 宮城から福島の会津若松を目指すんだが、高速乗りっぱなしルートか蔵王エコーライン経由にするか、悩んだ結果気温が幾分上がったから蔵王エコーラインの峠越えを選択することになった。


 が!!高速降りてからとんでもない雨に振られエコーライン経由は断念することになった。そして休憩を取るために休もうと思った場所がこちら。遠くに雪山と鳥居が見える。大雨の中エコーライン強行したら下手したら雪降ってた可能性があるから、途中で断念したのは英断だったのかもしれない。
 

2021年6月2日水曜日

雨養生

こちら、自分の足。

 自分は何より雨が嫌い。自分が濡れる、アンダーウェアや靴下が濡れたら仕事の時も休日も問答無用に超不機嫌になる。
 そんな自分が冷たい雨の中を走行せざるを得ない場合は雨養生をしっかりする。雨具は当然として、靴は45Lのビニール袋をかぶせ養生テープが写ってはいないものの、足首周りをカバー。

 でも何より嫌いなのが洗車とチェーンメンテナンスだったりする。腰痛持ちは屈伸運動や中腰が何より辛いんだ・・・。

2021年6月1日火曜日

尊敬する。

こちら、友人のFCRキャブレター39mm径。

 SR400改534のキャブレターなんだが、道中数回メンテナンスと称して分解が始まる。白いのは部品の不意の落下を防ぐ紙皿。

 自分も20数年前にSR500を乗っていたが、セッティングのシビアさより始動性の悪さで手に負えなかった苦い思い出がある。

 友人曰く今ならスマホがあればなんてことはない。くらいに言うものの、それは自宅での整備であって出先でフロート外す以上のことをし始めるのはなかなか勇気のあることなのでは?と嘗てこのキャブに苦しんだ人間は思うんだよな。

 出かけるときは晴天の25度、出先で雨の5度、自分からしたら怖くて考えるのも嫌なコンディションの変化。それでも友人は何食わぬ顔でバラし始める。


 ・・・冗談でなく尊敬するわ。