ブロッコリーの虫食い具合を確認していたら11月中旬で早くも食べる蕾の部分が大きくなってきているのを確認できた。この分では12月頃には十分おおきくなると思う。
あとはいもむしの猛攻が早く収まってくれるのを待つだけだ。
待つのは自分の農薬散布ではなく初霜。これがくりゃあいもむしなんざ一瞬で絶滅だ。温暖化が恨めしい。普通は11月の半ばにはもう初霜が降りているのに・・・。待ってるのに遅いぜ。
ブロッコリーの虫食い具合を確認していたら11月中旬で早くも食べる蕾の部分が大きくなってきているのを確認できた。この分では12月頃には十分おおきくなると思う。
あとはいもむしの猛攻が早く収まってくれるのを待つだけだ。
待つのは自分の農薬散布ではなく初霜。これがくりゃあいもむしなんざ一瞬で絶滅だ。温暖化が恨めしい。普通は11月の半ばにはもう初霜が降りているのに・・・。待ってるのに遅いぜ。
うーん、実際の季節にはもう収穫が見えてきたにんにくたちの11月の姿。にんにくは昨日のブロッコリーのように虫が付くってことはほとんどないのでぶん投げ農法が可能だ。今回はまさにぶん投げ、しばらくぶりに畑を見てみたけどにんにくはすくすくと発芽してだいぶ芽が出揃った感じがする。
それにしてもブロッコリーはあおむしに弱いな。自分の畑はまだあまがえるやかなへび、くも、かまきりたちが日々ブロッコリーに常駐してくれているけど、そんな守護神達も食べきれないほど青虫が増えている。
野菜を、ブロッコリーを育てるって大変だ。
東京有明港に着いて一路家へと急ぐ・・・。と言いたいが11月の5時半はまだ寒い。防寒着を四国での道中に落としてしまった自分はPAごとに止まって温かい飲み物を飲みながらゆっくり家に向かう。
そして10日ほど家を、畑を空けてしまったので家より先に畑によってみる。
すると穴だらけだが団扇の骨にまではいもむしにヤラれずに済んでいたブロッコリーにいつものあまがえるちゃんがいたことに気づく。
・・・留守を守ってくれてありがとう。いもむしの猛攻からブロッコリーを守ってくれていたんだな。感謝しかないわ。
Thank you for visiting my blog!
先ほど写真を撮っていた時に気づいたけどまたフェリー「びざん」に縁があった様子。
びざん=眉山、徳島県、特に徳島市を代表する観光地だ。(多分。)立ち寄ってないから詳しいことを言えないんだけど、徳島市近隣を走っていると平たんな場所であれば常に目に入ってくる山だった。
乗船したあとはもう好き勝手に飲もうが食おうが風呂で茹でられようがやりたい放題だ!!
遂に四国一宮参拝改め南海道一宮参拝の旅も移動手段が愛馬ハイパーモタード950SPからフェリーへと移ることになる。
あまり気にしていなかったけどもこの場で確認したらリアタイヤがだいぶツルツルになってきていた。家からだとなんだかんだ1,000km走っているんだっけ。
昨晩美味しい食事にありついてしっかり休めたけど、更にフェリーでもしっかり休めるな。中年にはありがたい旅のおわり方になるな♪
四国一宮参拝の旅、改め南海道一宮参拝の旅が終わった。最後は豪勢な食事にありつく。徳島県の旅行補助があって、全く知らないまま宿泊したらこの料理の実質負担ゼロと来た!!
遠路はるばるお出かけしても、あまり高級な食事には興味がないタイプだったが、実質負担ゼロっていうのならありがたくいただく。
今回は荷物を落とすなんて人生初の経験をしたけど無事に帰る事ができそうなところまで来たぞ。
にんじんの様子を見たあと、せっかく来たのでじゃがいもの発芽を再確認し草むしりしておく。じゃがいもを植えてから1ヶ月経つのでどうしても草も生えてくる。
その中で草むしり難易度が高い雑草が生えてきていた。上のが小さい雑草下のでかい葉っぱがじゃがいも。
このサイズ感では間違ってじゃがいもの芽をむしってしまいそうになる。無理は禁物だな。
畑の話に戻る。先週蒔いてきたにんじんの様子を見に行ったものの、まだ全然出ていないようだ。去年の夏の大失敗の嫌な経験が頭をよぎる。
去年の夏は7月1週の週末に人参の種をものの、7月1週というのにまさかのカラ梅雨、その後全く雨が降らないという悪夢に襲われた。
今回は日曜に種を蒔いて火曜、木曜と雨がしっかり降ったのにまだ出てこない。もう1週待って発芽しないようならまたやり直し・・・。いや、もう別の作物を植えよう。自分の畑はどうにもにんじんには縁がないようだ。
伊弉諾神宮をフラフラしているとすんごい方の銅像を見つけた。
樋口季一郎中将だ。二次大戦で有名な軍人はたくさんいるけど個人的に一番すごい方だと思っている。戦争に加担していないユダヤ人を保護し、何より終戦間際の戦い方、占守島の戦いの素晴らしさだ。ここで占守島を落としていたら北海道が今頃どうなっていたかわからない。
日本史はどういうわけか学校でこの時代になると時間切れで教えないという某教育団体の影響であまり知ることが出来ないが、この樋口中将だけは日本史でどれだけ功績があった軍人化を教えるべきだ。気になったら調べてみてほしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E5%AD%A3%E4%B8%80%E9%83%8E
伊弉諾神宮、主祭神様はいざなぎのみこと、といざなみのみこと。神産みの神様なんで有名だ。
昨日太陽の運行図を昨日上げてみたけど、改めてレイラインの話をすると、関西で有名なものは何と言っても逆さ五芒星だろう。その中で重要な点になるのがここ伊弉諾神宮だ。
この逆さ五芒星、誰がいい出したのかわからないけどもよくもまあここまできれいな星型を見つけてきたもんだと思う。この地点に意味があるのかイマイチわからないが、引いた図形の美しさはすごいもんだと思う。
興味があった場合は「レイライン 五芒星」とでも検索すると出てくると思う。
にゃ。
とらのすけにゃ。
我が飼い主、とらのすけの誕生日を忘れるところだったにゃ。生まれて直ぐ、武蔵国府中にて保護され縁あって田舎ねこにゃ。田舎ねこを満喫して出たい時に家の外に出て、気が向いたら、腹が減ったら帰って来る自由ねこにゃ。
…。都内ならあっけなく轢かれておしまいの猫生だったけど、どういうわけか田舎に連れてこられて猫生成功だったようにゃ。
もう年寄り猫になりつつあるけど基本元気にゃ!家の周りのネズミやモグラ退治して田舎ねこの役割を果たすのにゃ!
伊弉諾神宮で有名なものと言えばこの石碑かな?サングラスを掛けた有名な徘徊爺さんがテレビで紹介して有名になったとか聞くけど、結構有名な話だと思うんだ。
太陽の運行図とか書いてあるけど、レイラインって言ったほうが通りがいいんじないか?
レイラインで言えば鹿島神宮から引くレイラインってのが多分一番有名。だけど多分太陽とは関係がないから太陽の運行図といえばこの図か。
こちらは阪神淡路大震災で動いた主断層の断面。
・・・すんごいものを目の前にしているんだな、となんだか博物館で国宝級の一品を目の前にしているような鳥肌が立つ。ここまで見事に大地が動くものなのか・・・・?
東日本大震災の経験者だがプレート境界の地震だったので震度6でも もっさりグラグラぐわんぐわん・・・ がとにかく長く続く、それこそ1分以上続いた感覚だ。じわじわプレートが滑った感じが明らかにわかった。
こちら野島断層保存館はまさに断層直上。どんな揺れだったか想像がつかん。子供の頃家でこの地震を体感した覚えがあるが500kmも離れていたらあまり意味がないしな。
Thank you for visiting my blog!
先ほどのもみくちゃぐっだぐだの状況から進んでいくと余りにもわかり易い部分があった。
あぜ道の横ずれ とある。ここまで地面がズレたら断層直上の木造の建物なんてあっけないものだろう・・・。
桜の時期の玉ねぎ。様子を見に行ったらむっちむち。マルチからはみ出そうな勢いで大きくなってきた。
北淡震災記念にある野島断層保存館を拝観する。色々と報道で使われた阪神高速倒壊の有名な写真、火災の広がる写真、市街地のビルが潰れた写真などを観る。
・・・でも一番ココロに来たのがこの写真だった。飼い主を探すのか、被災地に集まってくる犬やネコ と書かれていた。震災後約2週間の写真だ。
人間ならとんでもない大震災の事態が理解できるが、突然住まいも飼い主も見慣れた街も失った動物たちも人間と同じ被災者だ。右のみけ猫の表情がつらすぎて涙が出てきた。
能登の地震でも同じ状態を報道で目にするが、飼い主の生死が定かならない時期のペットの不安を考えるにあまりに辛い状況だ。天災は避けられないがこの状況にならないよう務めるのはペットの飼い主の絶対的な義務だな。とにかく生き残ること。
生きていりゃあ裸一貫からでも再起出来る。
親、ペットより先に逝く事は人として許されない。
にゃ。
とらのすけにゃ。
手間がかかるとか言われてしまったにゃ。こっちとしては自由気ままに過ごしているので迷惑かけていないつもりなんだけども、どうにも手間がかかる子扱いされているにゃ・・・。
そんなときはささやかな嫌がらせ、体中に花粉をまとわせて我が飼い主の添い寝、顔の前で寝てやるのにゃ。
大体10分しないうちにくしゃみと鼻水で目を覚ますにゃ。
昨年の秋に畑に入ってから約半年、秋冬を過ごしてきた玉ねぎとにんにくに最後の追肥をする。雑草避けに黒マルチを張っておいたが、秋冬はあまり効果を感じなかったけど、3月以降は黒マルチの雑草避け効果を少し体感できる。
黒マルチのお陰で雑草は生えないが追肥がどうにもしにくい。8-8-8等の化学肥料を振りたいものの、結局諦める。
こういうときは液肥だな。多少薄めにしておけば葉面散布って方法もあるくらいだから、今後の追肥も液肥でいいや、って思えてきた。手間かからないのが一番だ。
にんにくと玉ねぎ、収穫までに時間が掛かるが秋冬なんてそうそう作るものもないしにんにくも玉ねぎもあるに越したことない野菜だし、今年も作るとするか。
昨日の山桜の開花に続いて今度はメインクーン、じゃなかったメイクイーンの発芽第一号が確認できた。
どんな野菜でも発芽第一号というとたいてい嬉しくなるんだけど、じゃがいもの場合は「植えた深さがやたら浅かったのか?」と不安になる。
不安なんだがのんびり1週間も経てばだいたい揃ってくるので焦ってもしょうがない、と思うことにする。
さあ、お宿に戻らなきゃ。夜の帳が落ちた和歌山の山の中、土地勘が全く無いのでまたスマートフォンに頼りっきりになる。
また1枚写真を撮る。きれいにライトアップされている橋だ。
ココから出発する際神職さんとお話していた言葉を思い出す。
「色々落とし物をしてしまったのは大変でしたがこちらに立ち寄れて絶景と仰っていただけたのもお大師様のお導き。落としてしまったものは厄のかわりでしょう。厄が落ちたらまた手元に形を変えて戻ってくるかも知れませんよ。」
うーん、神仏が一体となった紀州の地、気持ちよく最終目的地の丹生都比売神社から出発出来そうだ。
神職さんとお話していると自分以外に初めて参拝客が来た。自分も立ち話を済ませお土産を買って帰路につく。
その際に撮った1枚がとってもお気に入りの1枚になっている。スマートフォンで撮影したんだけど、それにしてもカメラの性能が本当に素晴らしいことになっているな。腕も何もなく、カメラの言うままにシャッターを押してこんなきれいな写真が撮れるのはカメラ性能がどんだけ上がってるんだよ、って思う。
さあ、お宿に戻らないと。
丹生都比売神社、この日から紅葉の時期までのライトアップがスタートしていたらしい。神職さんにあまりの美しさに感動して聞いてみたらこう答えてくれた。
ただしあまり積極的な広報をしなかったのかせっかくライトアップしたのに思いの外参拝客が少なくて少々がっかりしていた様子。そんな中標準語を話す自分が観光を兼ねて参拝してくれたことが嬉しかったようで色々とお話ができた。
四国一宮参拝がエクストララウンド御開帳で南海道一宮編になったことや、身ぐるみ一式落としたこととか、バッグ落としたこととか・・・。ほぼ落とし物の話しかしてねえな。
紀伊国一宮丹生都比売神社までの道中は日没後でもう真っ暗。スマートフォンのナビをインカムで拾いながらの不安な道中だったが着いてみたらこの美しさ!!
割と冗談でなく神様のテーマパークにでも来たんじゃないか??と思うほど。しかも自分以外誰もいない。
・・・道中で実は事故起こして、気づかないうちに虹の橋でも渡ってきたか??不安に思って足を触るも、足はまだ付いている。
吸い込まれるように中に進んでいく。
先程の伊太祁曽神社から更に足を伸ばしてかつらぎ町まで来た。こちらには紀伊国一宮の丹生都比売神社がお鎮まりだ。
伊太祁曽神社を出た時点で11月の17時、もう日が落ちてしまった時間だったので丹生都比売神社に着いた際はもう周囲はもう真っ暗。初めて行く神社が夜間というのはあまり経験がない。もしかすると初めてかも知れない。
・・・その割には丹生都比売神社がとっても明るいんだよな?なんかすごく歓迎されている気がする。
こちら伊太祁曽神社。主祭神は五十猛命。いたける、いそたけるのみこととお読みする。配神五十猛命と同じく須佐之男様のご子息だそうだ。
皆様林業の神様ということで紀伊の国の産業の神様としてお鎮まりの様子。
・・・個人的には近くの猫駅長が気になってしょうがないが、もう勤務時間外になっちまったなあ。会いたかったけど仕方ないか。
四国一宮編は終了したものの次の天気が崩れる日まで少し日数がありそうだったので宿を取り直し紀伊水道を渡る。
そして着いたのは紀伊国一宮、日前神宮・國懸神宮。関東の人間には読めないだろう。自分も読めなかった。ひのくまじんぐう、くにかかすじんぐうと読む。一宮の格を持ち神宮という名称なんでどう考えても歴史も格も相当なものだ。
夕方の参拝はあまり好きではないんだけどもエクストララウンドだ、お許し願おう。四国一宮参拝編、エクストララウンド御開帳。
拝殿の風格に圧倒されたあと、正気を取り戻してゆっくり参拝する。この日はたしか日曜日、朝から七五三の家族連れが多く家族の写真を撮ってあげながらのんびり参拝する。そしてお約束、水戸ナンバーで話が盛り上がる。
土佐神社の主祭神様は住まいの隣県陸奥国一宮の主祭神様と同じ味耜高彦根命様だ。四国にまで来ているのに福島の都々古別神社と同じ神様がお祭りされていると思うと何故か異様に親近感が湧いてきた。そして味耜高彦根命様は農業の神様だ。しばらく留守にしている畑をお守りいただけると幸いです。
さあ、四国の旅は一宮参拝完了だ。荷物もなくして意気消沈、雨降ったら何も出来ないし、あとは帰るか…。
時が戻って四国一宮編。
荷物をなくしたので雨天走行ができず、愛南町で2泊したあと、雨上がりの朝愛南町から高知県まで一気に足を伸ばす。晩秋の雨上がり早朝、猛烈に寒かったが雨具も防寒具もバッグごと落としてしまったのでどうにもならなかった。土佐国一宮、土佐神社に着いたときは冷えっ冷え。
途中から日が差してきてくれて助かったわ。
耕運機を回していたあたりを見ていたら、何かが動いた。目を凝らすと土にまみれていたあまがえるちゃんを見つけた。
・・・どうやら眠りから叩き起こしてしまったみたいだ。申し訳ない。
そっと手に乗せて日当たりの良いほうれん草のあたりに移動しておいた。昨年の夏からこの畑にいるあまがえるちゃん、害虫をバクバク食べてくれる心強い味方だ。叩き起こしてしまい申し訳ないが、今年もよろしくね。
種芋をぶった切って草木灰を切り口につけておく。少し乾くのを待つ間に今夜食べる野菜、今週食べる野菜の収穫準備をしておく。
青梗菜を見ていたら益虫のナナホシテントウがいた。3月になるとポツポツ見かけるようになってきた。ということは、アブラムシも出てくる季節か。
益虫、ほかにもでてきているかな?
先程の畝立て、畑に入るのはこちらの写真にあるように春の家庭菜園の人気者、じゃがいもだ。
今回はメインクーン、じゃなかったメイクイーンを用意した。昨年はメイクイーン、男爵、キタアカリと3種準備したが、掘ってみたらメイクイーンは長細いので判別できるが男爵とキタアカリが訳わからなくなったのでメイクイーンをメインにしてあとで不足分を男爵を買い足そう、と計画している。
・・・メイクイーンの種芋買いすぎた、ってのもあるんだけど。
草木灰も買って準備万端だ。
帆布製サイドバックを落としてふて寝していたら春になった。(四国一宮編はいずれ再開予定。)
自分の畑の準備をしなきゃな。ってことで米ぬかを散々ぶち撒いてリン酸の補充だ。久しぶりにホンダの愛車、OHV1.7馬力の耕運機「こまめ」に畝立て用の培土機をつけて畝立てだ。
久しぶりの畝立て、なかなか勝手がつかめないけど身体に覚えさせないとな。
愛南町の山城屋でひたすら落とし物の問い合わせを行う。香川・岡山・広島・愛媛各県警に問い合わせをし、遺失物届けを出す・・・。
そして翌日は終日雨模様。荷物をなくした金銭的損害、着替えや雨具・防寒着を落とした旅先での装備の損害、その他精神的な衝撃がかなり重くのしかかってきた。
・・・酒呑んでしっかりふて寝だ。
・・・何もやる気が起きないわ。財布とスマートフォンは落とさずに済んだのがまだ救いだ。
道中で落としてしまった、ハイパーモタードで出かける際にいつも一緒だった帆布性サイドバックの中身を山城屋で考えてみると着替えを全てを落とす、タブレットを無くす、その他食器などもなくなる、かなりキツイことに気づいてきた。財布とスマートフォン、充電器が無事だったからまあなんとかなっているが、どうにもならん。
さあ、困った…。
道の駅多々羅しまなみ公園から210キロ以上、高松の宿からは道の駅多々羅しまなみ公園までも170キロあったので400キロ近く走ってきた。
愛南町の紫電改展示館まできた。道中、ああ、地方に来たなぁ。と実感する対向2車線の自動車専用道路を延々乗ってきた。
ここでは終戦間近まで松山から日本を護った紫電改の部隊の歴史を勉強する。平和は無料のものでも与えられるものないからな。
伊弉諾神宮といえばこの太陽の運行図が有名だよな。少し前にサングラスした老人が徘徊する有名な番組でも取り上げられていたようだし。
これはレイラインなんて言って古代の遺跡を結ぶと直線になったり・・・。なっていうオカルトだな。
・・・いや、ここ伊弉諾神宮も関係している関西の逆さ五芒星、鹿島神宮・皇居・富士山・伊勢神宮・高千穂神宮の2つのラインは出来すぎだと思う並びなので実際になにかあるのかも知れない。