2013年2月23日土曜日

常陸国三宮吉田神社と近くの吉田古墳に行ってみた。

今日は4日連続で鼻血が出る恐怖感と戦いながらハイパーモタード1100evo SPで常陸国三宮吉田神社に行ってみた。常陸国一宮鹿島神宮、二宮静神社に行ったら三宮に行かないわけには行かなくなった。

 鼻血は二輪運転中は怖い。急制動までは行かなくても、即刻路肩に寄せて鼻に詰め物するしかないから・・・。orz

 副作用のゲロ?んなもん、ムタも真っ青の塩酸毒霧ぶっ放して終わりじゃ。

 ・・・後続車さんごめんなさい。



 
 とりあえず鼻血も毒霧もなしで水戸まで来られた。よかった。ちょっとほっとした。で、写真撮影しなきゃ。と、この場所は車止めがある場所なのでエンジン切って押す。そうすれば道路交通法上、堂々と歩行者。


 で、上の写真撮って左の写真撮る溜に車両を動かす際、スタンド出しっ放しで動かして、停車時に出しっ放しのスタンドが右足甲に直撃!
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しばし悶絶・・・。
下の写真を撮ったところからちょっと行くと、自動車用参道の看板があったので素直に従う。素直に言うと横着したいんでなく、純粋に痛くて歩けねぇ・・・。orz

 30秒くらいで右の写真の所まで付く。
この写真、スタイリッシュ罰当たりな訳ではなく、ちゃんと駐車場になっている場所で撮ってる。本当に近くまで車(二輪だけでなく、四輪もおK!)で行けるのはびっくりした。高齢者に配慮してんのかな?(多分地形に恵まれてるだけwww)

 とりあえず昼ご飯時だったので参拝しも居ないし、宮司さん達神職の方々も居ない。

 ゆっくりふらふらさせてもらおう。
 真っ正面。
wikipediaによると、

歴史
『常陸二十八社考』などによると、日本武尊の東征時にこの地(朝日三角山)で兵を休ませたことにちなんで創建された。古文書において「正安4年(1301年)は創建以来800余年に当たる」とあるので、ここから年代は5世紀辺りと推察されている。なお、休憩場所とされる地は現在も境内一角に「三角山」として残っている。
平安時代中期の『延喜式神名帳』には「常陸国那賀郡 吉田神社」と記載され、名神大社に列している。   ・・・らしい。


ありゃりゃ、今日は強風注意報出てたから、庶民で言う暖簾が落ちちゃってる。宮司さんでも居ればお伝えするんだが、ご飯時なんで宮司さんどころか参拝者すら居ない・・・。

 宮司さん達なら昼飯済んだら直ぐ直してくれるだろう、と思い拝殿~本殿をぐるり一周して帰路につく。

 ここ吉田神社の本殿も伊勢神宮っぽい鰹木(=屋根の上、ぐしに直角に何本か並べた円い柱みたいな木材)がある神明造だった。地元の鹿島神宮は神明造でないから、神明造はちょっと新鮮。
あら?

 帰りに気づいたら鳥居に補強が入ってる・・・。そりゃあ、大震災に遭えば石鳥居はただじゃ済まないだろう。

 倒壊して人身災害にならなかったことが幸いだ。

 
帰り際に古墳があるって標識出てたから寄ってみた。吉田神社からこの吉田古墳まで多分1.5kmないかな?直ぐ着いた。
 吉田古墳は、水戸市街地と相対する吉田の台地上、水戸市立千波中学校近くに存在する1辺約8m、高さ約1.6m、の小規模な方墳である。
 内部主体は、南に開口する全長約3mからなる軟質凝灰岩の板状の石で構築した横穴式石室である。大正3年4月に発掘され、金環、鉄鏃、直刀、勾玉等が発見されるとともに石室の奥壁には線刻で靱、刀子、鉾等武具を主体とした壁画を施す特異な古墳として注目され、装飾古墳の研究上、高い学術的価値を有するものである。
 本古墳の営造年代は、主体部形式や出土遺物から6世紀後半に位置付けられるものと思われる。

 って、茨城県教育委員会のサイトに書いてあった。写真に小さく写ってる看板には国指定文化財って書いてあった気がする。自分が見たら残土の山程度にしかとうてい思えないが、お宝ザックザクだったから国指定文化財なんだろうな。自分が良く昼寝してる余裕の100m越えの前方後円墳でも国指定文化財になんてなってないんじゃないか?


 ふう、薬の影響で疲れやすいのでいつもだったら休憩なんかいらないんだけど、今回はちょっと休憩。寒いのもあるんだけど・・・。ミニストップって寒い時期はありがたい。コーフィーが店内で飲めるから。缶コーヒー持って駐車場で他のバイク乗りと無駄話も良いんだけど、ゆっくり店内で暖まりたい時はミニストップはバイク乗りの聖地になるんだよな。