2013年3月3日日曜日

花粉の包囲が甘かったので下総国一宮香取神宮行ってみた

今日はなんだかお出掛けしたくなった。花粉も昨日の風に比べりゃあまだマシだ。それに幾分寒い。
 それより何より、蟄居(江戸時代の刑罰の一種)は1日で限界になったwww

 momoのfighterにスカルフライト180にtalex偏光の無駄な贅沢仕様がある上、目薬もあるし、目は大丈夫!マスクは必須だけど、この時期は仕方ない。

 お出掛け先は下総国一宮香取神宮。鹿島神宮と兄弟みたいな(多分)神宮。
・・・orz。工事中ですか。
香取神宮の神様は経津主神(ふつぬしのかみ)様とおっしゃって、鹿島神宮に祀られている武甕槌、(タケミカヅチ)様と一緒に東国に遣わされた神様。
(漢字・読みとも異説あるが、大きくはぶれない。)

 神様を不敬ながら判りやすく例えるなら大陸の三国志にたとえると関羽・張飛のような関係なのかな?無敵の武人みたいで。
経津主神(ふつぬしのかみ)の「フツ」は刀を振り下ろす時の風切り音を表すとかの説があるので、やっぱり武道の神様なんだろうな・・・。

 そういや、川向かいの茨城県潮来市には「古高」(ふったか)なんて地名があって、この「フッ」って音が神話の時代か古墳時代か怪しい時期に、蝦夷の親方の首を刎ねた。なんていわれがあるから、古語の擬音語なんだろうな。

出典:ごめん、忘れたけど多分確か。
それにしても、鹿島神宮と違って参道に勾配が多い。平坦は何キロも歩けるが、勾配が多いと薬の副作用で吐き気がする・・・。神域に吐くわけにも行かないから、とにかくスローペースで写真を撮りながらゆっくり歩く。

 ・・・勾配と行っても駐車場から本殿まで多分30mも無いだろうから、よほどの高齢者でもないなら大丈夫なはず。
楼門(重要文化財)
うーん、鹿島神宮に行きなれている人間にとっては鹿島神宮とそっくりに見える。門の両脇に武人さんの木像があるとこまでそっくり。
 誰の木像かは判らなかった。
wikipedia 香取神宮によると、
 「平安時代中期の『延喜式神名帳』には「下総国香取郡 香取神宮」と記載され名神大社に列した。同帳によると、当時「神宮」の称号で呼ばれたのは、神郡同様に伊勢・鹿島・香取の三社のみであった。」
 とあり、伊勢神宮は別格にして、鹿島・香取神宮は同格の兄弟みたいな神社なのかな?

・・・orz。

 本殿、ここも工事中ですか。折角来たのに。

 でも、仕方ないよね。また来ますよ。そんなに遠くないし。
こちら本殿前にあったご神木。相当デカイ。50m近く下がらないとカメラに収まらなかった。なんかご神木って人が近寄れないような奥の方にあるイメージがあったけど、香取神宮は人が直ぐ近くまで近寄れる場所にあった。
鹿島神宮にもある要石、香取神宮にもある。香取神宮にある要石はてっぺんが凸型、鹿島神宮にあるのはてっぺんが凹型。

 この辺も鹿島神宮・香取神宮の親密さを表してると思う。

 って、この記事を書いてる最中にも茨城県沖で震度3が20:14,震度2が20:24にあったってのが「本物」だと思わせるんだよな。

・・・奥の杉が雄花たっぷりで赤っぽくなってるからさっさと退散しなきゃ。(汗)
ほいきた、香取神宮の要石

 要石 wikipedia 香取神宮より。
地震を起こす大ナマズを押さえているとされる石。凸型をしており、鹿島神宮の凹型の要石と地中でつながっていると伝えられる。鹿島神宮まで直線で推定15km位、こんな馬鹿でかいナマズだったら、暴れるどころか寝返り打っただけで大地震だ・・・。


確かにてっぺんが凸型だ。
 
 天下に名高い副将軍、水戸光圀公が若かりし頃、やんちゃし放題してたときに、鹿島神宮と
香取神宮の要石ほじくり返したけど、7晩8日ほじくって掘りきれなかったてのが鹿島神宮の要石、こちらも何日掘ったか判らないけど掘りきれなかったようだ。・・・。モグラは神罰を恐れずほじくりまくってるなwww
 
 光圀公の若気の至り、なんか庶民的で親しみわくけど、神主さん気づいてるだろうから止めましょうよ・・・www